ワダ☆ナイト「キャバ嬢がすすめナイト」

「読書家」和田 晃一さん主催の『ワダ☆ナイト』に参加してきました。

今回は、キャバ嬢とラカン派臨床心理学者をゲストに招いての開催でした。対話からの自己というようなテーマでしたが、まあよく結びつけたなと感心しました ^^。

話は和田さんが講師を勤める研修プログラムの話から始まります。先月は、学習する組織のための研修をやられたそうです。学習のために必要なモチベーションはどう作り上げられるのか。それは、なりたい自分と今の自分の差異を認識することによって生み出されるわけですが、そのなりたい自分というのがなかなか見出すことのできないものです。それを見出す手段として、対話というのが有効です。自問自答による対話で自己を見定めることのできる人もいるけど、やはりそれはなかなか難しくて、他聞自答、つまり他者との対話のなかから自分を見出すんです。

人に話してみて始めて自分が考えていることが見えてくるということはよくありますよね。

社会人にとっては、クラブのママやキャバ嬢なんかも、この対話の相手として大きな存在感があるんじゃないかと。 (ここは個人差大きいと思いますがw )

確かに卓越したホスト、ホステスはそういう話し手の心の鏡となるような、話していて自分自身のきもちが整理されるような、そんな対話ができる、人生の豊かさを持っているイメージですよね。ゲストに来られていたキャバ嬢はどちらかというと素朴な一人の若い女性という感じで、 むしろ和田さんがホストみたいでしたが ^^

一方の臨床心理学者の方が専門とされているラカンというのは、フロイトユングと並ぶ心理学の先駆的な学者だそうで、 難しくてよく分からなかったけど、他者を通じて自己を認識してまた自己を取り戻すという心理療法を作り上げた(という理解でいいのか!?)、人だそうです。

このラカンの話を聞いて、最近読んだ『脳はなぜ「心」を作ったのか』 という本の話を思い出しました。その本ではある実験が紹介されてます。実験では、頭蓋骨をかっ開いた被験者の脳に電極を刺して指を動かしてもらいます。すると脳に電流が流れて電極でそれを検知できるんですが、その電流が流れた時間と、指が動いた時間、そして動かそうと意識した時間(自己申告)を比較します。一番遅いのは当然指を動かした時間。一番速いのは?なんと動かそうと意識した時間ではなく、脳に電流が走った時間だったのです。つまり、指を動かそうと能動的に意識したわけではなく、脳によって受動的に意識した、意識したと思い込まされているんだというんです。

人間の意志は、精神や魂のような神秘的な何かに寄って生み出されているのではなく、あらゆる外界からの刺激をインプットにしつつ、蓄積した記憶と混ぜ合わせて作られていて、さらに自らが生み出しているんだという勘違いのおまけ付きだ、というのです。

この物理的な回路の機能は、心理という論理的なレイヤーまで継承されていて、他者との対話によって自己を作り上げるというのは人間の根元を見た思いがして大変興味深かったです。

臨床心理では精神疾患の患者に対して自己を取り戻すための様々な対応を行うそうなのです。しかし、そもそも人間の心はは外からの インプットに対する反射の塊であるとするなら、何故わざわざ自己を取り戻さないとならないんでしょうね。でもそこは人が自ら意志を持っていると勘違いしているのと同じ生きるために必要な何かの理由があるんでしょうね。自己を保つことが人として生きるのに必要なんですね。外界からの刺激に対する受動的な反応体でしかないのに。不思議なもんです。

最近はソーシャルという、人と人との繋がりを機能的にサポートするフレームワークがもたらすものを考える機会が増えていたり、また自分自身これまで得られなかった、あっても受け止められなかった出会いによる自己の変化を感じていたりして、人がいかに社会的な生き物かを再認識しています。そういう実感と、前述の書籍の話における、人が内面に持つ機能的仕掛けについての気付きが、今回の心理レイヤーの分析の話によって何か自分の中で繋がるものがあり、とても面白かったです。

脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

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ラカン派精神分析の治療論―理論と実践の交点

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