中国の民度は低いのか〜「中国化する日本」を読み返して〜

中国の反日運動は、本当に反日思想で動いているのかと疑うほど、無分別な暴動と化しているようで、正直気分の悪い思いをしてしまいます。

ところで、この中国の反日運動を受けて、茂木健一郎氏はTwitterでこのようなツイートをしていました。

この類の意見は、私の周りでもよく聞きます。「中国人は民度が低い」「デモの参加者が乗った日本車も破壊された。頭が悪い。」「日本人はデモをやっても整然としている」「大規模な天災が起きれば海外では略奪が当たり前なのに、日本人は全然起きない。」「日本人は美しい心を持っている」

どの意見も気持ちは分かりますが、なんだか感情的なものに感じてしまいます。私自身にそうした感情を感じるので、尚更そうなんだと思います。

一方、與那覇潤氏は著書「中国化する日本」の中で、それは近代化方式の違いとして現れたメリット・デメリットの話でしかないと、冷静に分析します。

日本とヨーロッパの「お城」の違いはなんだかご存知でしょうか。正解は、欧州のお城は「私的所有物」(セレブのお屋敷)ですが、日本のお城は「公共建築」(都庁舎や県民会館や市民ホールと同じ)であることです。(略)なんでも民間の「自己責任」に丸投げする(中国と同様の)中世社会の観光を離脱し始めたこの時代から、中国とは異なる独自の近世としての日本文明が始めるともいえます(略)地元に道路を敷きホールを建てるのが政治家の仕事であるという通年が、戦国時代以来500年の伝統になっているから、ちょこっと「政権交代」してみたところで土建行政が直らなかった反面、いざ災害となったときにも地域社会がカオスに陥らず、ひとまずは統治機構を信頼して行動することができた—これが日本的な(中国とは真逆の)「近世」の遺産なのです。

(強調は原文通り)

尚、本書は以前紹介した(http://teppei.hateblo.jp/entry/2012/07/27/124647)ように、日本の共産主義化を唱えるものではありません。今、世界中で広がっている近代システムは中国宋朝で作られたものがそもそもの始まりで、日本だけがそれとは真逆のシステムで近代化を果たして来たが、いよいよそうもいかなくなって「中国化」していくと述べるものです。與那覇潤氏はどちらの近代化が良いとか悪いとかではなく、それぞれに形の違いと、メリット・デメリットがあるだけの話で、だがしかし、日本は望むと望まざるとに関わらず「中国化」していくと述べています。

與那覇潤氏が言うところに依れば、中国の反日運動と、日本の反原発運動の振る舞いの違いも、この近代化の違いに起因するもので、必ずしも「民度」の違いではないのだと思います。そして不可逆な流れとして「中国化」する日本にとって、今回の中国の暴動は決して、他人事ではなく、いつかは日本人もあんな風になってしまうのではないかと恐ろしく思うのです。我々が作っていくこの国はどうしていったらいいのでしょうか。今、「民度」という言葉で、思考停止してはいけない気がします。

 

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

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