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日本と韓国はパラレルワールド

「88万ウォン世代」と言う言葉を知っているだろうか。韓国のワーキングプア世代を指す言葉だ。


88万ウォンは韓国で大卒の非正規労働者の1か月分の賃金で、この言葉が出た当時は日本円で10万円程度、現在では6〜7万円程度である。ソウルで下宿する場合、一人当たりの家賃は4〜50万ウォン。ワンルームマンションなら60万ウォン以上が一般的で、住居費だけを見ても若者が経済的に自立することが非常に困難であることが分かる。韓国では、日本以上の激しい格差社会が大きな問題となっているのだ。


私は池田信夫 blog(旧館)をよく読んでおり、数々の規制による官製不況に憤り、日本はより市場に経済を委ねて「小さな政府」へと移行すべきだという氏の考えに、強く賛成の意見を持つ。しかしお隣韓国では日本より激しい格差社会が大きな問題となっており、1997年末のIMF経済危機発生以降とられた新自由主義的な経済政策が原因だというではないか。


あまり韓国の例をとって新自由主義的な発想を批判する意見を聞くわけでもないが、市場主義に反対の立場をとる面々はきちんと市場を管理しないとこうした経済問題になってしまうぞ、というのが常に主な主張になっている。では、小さな政府を目指すと今の韓国のような状態になってしまうのか?何故、韓国はアメリカのように市場主義を成功させることはできなかったのだろうか。日本がこれからとるべき道は、何なのだろうか。


こうした興味から、本書を手にとった。

韓国ワーキングプア 88万ウォン世代

韓国ワーキングプア 88万ウォン世代

本書は、韓国で人文社会系の図書として異例のヒットとなり、人口約4800万人の韓国で、2008年末で約10万部刊行されたベストセラーの日本語訳書である。本書は若者の貧困・失業問題に対する社会的な関心を高める起爆剤となり、タイトルの「88万ウォン世代」は貧困と就職難に喘ぐ今日の20代を示す代名詞となった。


本書は10代、20代に読んでもらうことを望んでペンを執っていることもあって、経済書としては比較的読みやすい内容になっている。また本書の中で他国、特に日本との比較を数々挙げて韓国経済を解説しており、日本人にとっては韓国経済を理解するのにとても分かりやすい内容となっている。

池田信夫氏はブログの中で、

日本と韓国は、ほとんど管理された実験のような「双子国家」である。(成熟できない国と成熟しすぎた国 - 池田信夫 blog(旧館)

と述べているが、本書を読み進めていくと、何か韓国がパラレルワールドのようにも感じられてくる。韓国で今起きている問題は、日本にとってはまったくの他人事ではなく、一歩間違えば同様の問題に陥っていた可能性があるし、今後も同じ苦しみを味わうことだって十分ありえるのではないかと思えてくるのだ。


88万ウォン世代の苦しみとはどのようなものであろうか。


本書の序文には、88万ウォン世代というネーミングに至る経緯と、その他の候補が紹介されている。それは衝撃的なネーミングだ。「勝者独占世代」あるいは「バトル・ロワイヤル世代」だ。このネーミング候補からも分かるように、韓国の若者はごく一部、一握りの勝者になるための競争を強いられており、一度負ければ二度と抜けだせない「蟻地獄」にはまっていくような社会システムになってしまっているというのだ。


特に大きな問題なのは、韓国の若者が強いられているのが、「同世代内競争」ではなく「世代間競争」だというのだ。若者達は、40代・50代の搾取対象となっており、正常なポストには彼らが居座っており、若者には非正規職しか残されていないというのが実態になっている。搾取については、過激なマーケティングにより、10代、20代を中心的に刺激することが横行しているという例と供に、信じられない実態も紹介されている。ファミレスのようなところでのバイトに対しては、客の少ない時間帯は外に出て時間をつぶして来いというのだそうだ。通常、朝から夕方までのバイトシフトなら、その間時間中は1時間程度の休憩を除いては、ずっと店にいるし、時給も発生する。しかし、客の少ない時間帯は外に出して、時給換算されないようにしているのだ。これを「両建て(コッキ)」と言うらしい。


何故このような事態になってしまったのだろうか。本書では韓国でのIMF通過危機以降、「生き残れる人だけひとまず生き残ろう」という政策がとられてたというのだ。また、年功序列制度が発展していないために、40代、50代のひとまず生き残れる世代が生き残った後、それが若い世代に循環していかないことも原因だと述べている。要するに、韓国が自由主義経済に舵を切り始めたのは早すぎたのかもしれない。


日本では明治維新で旧体制が崩壊した後、急速な近代化を実現するために、中央集権国家を構築した。太平洋戦争後もこの中央集権体制は残存し、そのおかげで急速な復興と高度経済成長を実現できた。おそらくその時代に、自由主義政策が採られていたら、韓国と同じ目にあっていた可能性が高いのだろう。しかし日本は未だに中央集権国家を維持し続けており、格差問題が広まっている。日本の今のような状況こそ、規制緩和する必要のある時期なのかもしれない。


日本と韓国はまさにパラレルワールドだ。もっとも対照的な特徴だと感じたのは「希望」についてだ。


韓国の若者は希望を語る、「あまりにもしょっちゅう語りすぎる」というのだ。勝者独占社会の中で、最後に生き残る一人だけが全てを独占するという哲学は、希望を販売するように仕向けており、希望の過剰状態になっている。希望を実現させる確率が減るほど、希望という単語の使用頻度と誘引効果はどんどん大きくなる。これによって希望が「拷問」に変わっているというのだ。


一方、日本の若者はどうだろうか?希望を・・・語らない、語らなさすぎるとすら言えるのではないだろうか。社会があまりにも硬直的で変化を嫌っているため、自分達にはどうせ何もできない、希望を語っても意味が無いと感じている。


日本と韓国は、まったく別の理由、経緯、歴史で、似たような苦しみに苦しみ始めている。