裁判員制度

HEROの地上波放送を見た。映画だけ見逃していたが、ドラマ分までほぼ再放送で見直して、映画も見た。いやー面白い。この映画を見て、「そういえば今年から裁判員制度始まるんだったな」と思い出し、いろいろ思うところがあった。そもそも何のためにやるんだっけ?

このHEROの中で、キムタク演じる久利生公平は検事という立場で、事件をしつこいまでに詳細に調べあげ、時には完璧な証拠をそろえて裁判に臨み、時には不起訴にして冤罪を防ぐ。「日本の法律は、一人の人を裁判にかけるかどうか決める権利を、一人の検事に与えてるんです。これって結構すごいことなんです」のようなセリフがあったが、どうも本当に「すごいこと」らしい。

というのも、「それでもボクはやってない」という映画がでたときに話題になった、有罪率99%というのは、検事による働きが大きいらしい。これは、弁護士が検事に全然勝てないということではなく、検事が起訴するかしないかを決める時点で、ほぼほぼ有罪が決まっているということらしい。

池田信夫氏が以前、「有罪率99%」の謎というエントリーで、

日本では「逮捕されたらすべて有罪になる」ということではない。送検された被疑者が起訴される率は63%で、国際的にみても低い。多くの国では、犯罪の疑いのある者を起訴することは検察官の義務とされているが、日本では起訴するかどうかは検察官の裁量にゆだねられているからだ。したがって有罪件数を逮捕件数で割ると、国際的な平均水準に近い。

と指摘している。つまり、検事がかなりふるいにかけているので、裁判で無罪となることが少ない。このため、無罪判決となると、メディアで大きく騒がれるのだろう。

裁判員は罪の有無を決める時、どれだけ正確に判断できるだろうか。劇場型の弁護士が現れたら、あるいは、有罪率99%という言葉に踊らされたら、不用意に無罪を生み出さないだろうか。

いや、ほとんど有罪確定なのだから、裁判員の主な仕事は量刑を決めることに特化されるのかもしれない。ちなみに、アメリカと同じような制度と言われるが、アメリカは陪審員制度で裁判員制度ではない。陪審員制度は罪の有無を決めるだけで、量刑は決めない。裁判員制度では、量刑も判断する。

郷原信郎氏によると、量刑も判断するのは欧州の仕組みに類似しているそうだが、欧州は死刑を廃止している。一方、アメリカは死刑は存在するが、陪審員は罪の有無までの判断となる。

つまり一般人が死刑を判断するという、国際的に見て稀な制度が誕生するということではないか!これはなかなか「すごいこと」だ。

私は裁判員に選出されていないが、やはり人の死刑を決めなければいけないとなると、かなり気が引ける。またその審理に参加しなければいけない、裁判官の気苦労といったらひとたまりも無いだろう。

そもそもなんで裁判員制度なんて始まるんだ!?なにかきっかけとなる事件なんかあったっけ?
建前としては公式サイトに「裁判を身近に感じてもらうため」などとあるが、まぁそれは建前としておいておいて。

この本音というところが、あまり語られているのがネット上では見かけられなかった。前出の郷原氏も、元検事の経験を元に裁判制度に警鐘を鳴らしているが、そもそも何のためなのかがはっきりしないことを第1の問題点としている。まじかよ。

そしていろいろ探してみると、こんなのがあった。

裁判員制度は陪審制を主張してきた日弁連と反対していた最高裁、また、アメリカから社会構造としての司法制度改革を要求された政府与党などの駆け引きの結果である「妥協の産物」であることが言われています

これが本当かは分からないが、ありそうな話ではある。

何にしても、裁判員制度は本当に始まってしまう。周りで裁判員に選出されたという話をちらほら聞こえているし、いずれ自分にも回ってくる可能性がある。その時は、キムタクを思い出そう。彼は劇中で、絶対的に「自白」というものを疑ってかかった。自白が無かったら、この罪状は真実だと証明できるのか?その視点で事件に臨んでいた。そうした心構えが、間違いをひとつ減らすことを願って。

尚、最後に気づいたが、池田氏はきちんと「検察官」と表現している。さすが。検察官とは、検事総長,次長検事,検事長,検事,副検事の総称とのこと。